スタッフ日記
パールホテル茅場町のスタッフ日記です。
江戸城築城と茅場町
当ホテルが所在する茅場町、今では押しも押されぬ金融の街として広く知られており、 時には日本経済の中心地などと呼ばれたりもします。またこちらはあまり知られては いませんが、東京駅からわずか1.4キロメートル、皇居からは1.6キロメートルという 好立地も手伝って、全体としてはなかなか渋く重要そうな雰囲気を醸し出しています。
そうではありますが、茅場町という土地の歴史は比較的浅く、まず江戸時代以前は一面 これまったくの海だったそうです。江戸城築城に先立って、天正年間(1573~1592)に ようやく埋め立てられるなど、日本史においては断然遅咲きのグループに入ります。
皆様ご存じのように、時の将軍徳川家康は、江戸城を始めとする東の都「江戸」を作るにあたり、西の古都京都に負けない一流の都を作るぞと意気込んでは見たものの、地相学的にいまいちだったのが当時の江戸でした。例えば、その東側部分(大雑把に言うと現在の皇居以東から江東まで)は、少し雨が降るとあっという間に辺り一面水浸しになってしまう有様で、とても人の住めるような場所ではなかったそうです。ですが、そこは家康公、お抱えの優秀なテクノクラートを駆使して何とかしてしまうのがすごいところです。 家康は、全国規模で河川工事を行った大治水将軍ですが、その数ある業績の中でもかなりの荒業の一つが、当時東京湾に流れ込んでいた暴れ川の一つ利根川を、千葉の銚子へ逃す大工事でした。1621年の着工から30年を超える大難題工事でしたが、これによって川の 氾濫で年中水浸しになっていた土地に、町人や職人を住まわせることができるようになりました。これが江戸下町の始まりです。
さて1600年当時の茅場町は、と言いますと、埋め立ては終わったものの葦や茅で覆われた人外の沼地だったそうで、江戸城築城後、神田門前あたりに住んでいた茅職人たちを集団で移住させて、ようやく職人町らしきものが生まれました。現在の茅場町という名は、 土地の最初の住人である茅職人達に由来しているとも言われています。
時代が下ってからは、植木職人や傘張り職人、陶工など職人達が住む町であると同時に、河岸には京都からの酒を扱う酒問屋や材木問屋が並び、菱垣廻船や樽廻船が多く行き交っていました。当時、当ホテルの位置する新川町を評して「江戸新川は酒問屋でもって天下に知られ」と言われる程の賑わいを見せたそうです。 右絵中で、左手に並ぶ白壁が、当時高名だった新川の酒問屋です。
明治期に入っては、発達した運河を生かした 物流全般の要所として多くの会社が設立されることになります。
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